ジャンプレジェンド作家スペシャルインタビュー 「ゆでたまご先生が語る週刊少年ジャンプ」

ゆでたまご原作担当
嶋田 隆司先生
ゆでたまご作画担当
中井 義則先生

第3回 受賞の喜びと重みの狭間で

――そうして幼い頃からジャンプを見て育ってこられた両先生が、ギャグ漫画の新人賞である赤塚賞で準入選を果たされ、今度はいよいよジャンプの中に入って執筆活動を始められるようになった。外からご覧になっていた印象とはまた違った、新たな「ジャンプ」像が見えてこられたのではないでしょうか?

中井
中井

そうですね。でも最初は「この連載陣の中に自分たちが入れたんだ」という喜びがあまりにも大きくて、毎日がただそれだけでしたね。新鮮な驚きが次から次にやってきて。

内部から周りを見渡す…なんて余裕は当分、なかったと思います。

嶋田
嶋田

当時のジャンプって、新年号は作家が大集合して写真を撮って、それが表紙になってたんですよ。そこに自分たちが混ざれる、というのがずっと憧れだったんです。

そこにとうとうやって来れたというのがものすごく嬉しかった。デビュー前から憧れていたことなんですけど、中に入ったことでその実感がどんどん増していくのが嬉しくて仕方なかったですね。

中井
中井

授賞式で初めて相棒と二人で東京に来た時かな。まずジャンプの編集部に着いて、担当の中野さんから「ちょっとそこの会議室で待ってて」と言われて向かったら、そこで小林よしのり先生が作業をされていたんですね。

「あ、小林よしのり先生だ!」ってすぐにわかってビックリしました。そんな有名な先生が今、自分たちの目の間で漫画の作業をされているというのがとても新鮮な体験で。

――サイン会などの特別な機会じゃなく、日常の風景として最初にお会いされた漫画家の先生だった?

中井
中井

そうです。しかも小林先生といえば当時『東大一直線(1976年)』で既にめちゃくちゃ売れっ子の先生で、だけどそんな先生でも編集部まで来られて、一生懸命こうして作業されなきゃいけないんだなぁと。プロの世界の厳しさのようなものをそこで既に感じました。

嶋田
嶋田

その日の夜ですね。『キン肉マン』が準入選を獲った赤塚賞の受賞パーティが開かれたんですが、それがビックリするほど派手だったんですよね。ホテルオークラで、歌手やお笑いの方やアイドルなんかもいっぱい来てて。

当時は審査員の先生方も、赤塚不二夫先生、藤子不二雄先生、楳図かずお先生など大物の漫画家先生だけでなく、青島幸男先生や山田洋次監督など著名な文化人の方々も大勢、選考に加わってくださっていた。

中井
中井

そんな大物の先生方があちこちに見える中で、担当の中野さんが「よし、みんなに挨拶に行こう」って会場を連れまわしてくれたんです。

梶原一騎先生にもご挨拶に伺ったんですが、もうオーラがとてつもなかった。すごく大きなお体で「お前たちがゆでたまごか!」って。あれはめちゃくちゃ緊張しましたね(笑)。

嶋田
嶋田

青島幸男先生も「君たち18歳か! いや~若いね、若いってのはいいね~!」って。口調から声のトーンまでハッキリ、未だにずっと覚えてます。

――18歳の高校生二人がそんな豪華な社交場にいきなり連れ出されたら、それは鮮烈な印象として残るでしょうね。

嶋田
嶋田

何から何まで初めてのことづくしでしたからね。こんなすごい賞を頂いたんだ、頑張ろうって、思いますよね。

しかももうひとつよく覚えてるのは、帰りも中野さんと、もう一人、奥脇さんというベテランの編集者の方が、僕らの荷物を持って、ホテルまで案内してくれたんですよ。

僕らみたいな18歳の子供のために、立派な大人の人がここまで気を遣って親身になってくれるなんて。

――逆にそれがプレッシャーになる、ということもおありだったのでは?

嶋田
嶋田

悪いなという気持ちはありましたね。

中井
中井

でも決してそれはネガティブな方向に行くんじゃなくて、そこは中野さんが上手かったんですよね。

話し方も気の遣い方も、こっちが委縮するような方向じゃなくて、やる気にさせる方向に持っていくのが。だから本当に頼りにしてましたね。

――中野さんから言われたことで、特に覚えていらっしゃることはありますか?

嶋田
嶋田

いえ、中野さんにはいろんなことを教わりはしましたけど、あれこれ細かい指示を出してくる…ということではなかったんですよ。

だからああしろこうしろ、というのはあまりなかったですけど、ただ僕らが困らないように、ということだけはかなり気を遣っていただいたのはずっと感じてました。

東京に出てきて棲む場所探す時も一緒に探してくれたり、右も左もわからない僕らにあちこち美味しいお店教えてくれたり、仕事してても頻繁に差し入れ持って話をしに来てくれたり。

他の雑誌が新人をどう育てているかというのはわからないですけど、ジャンプに関してはそこは徹底的にケアしてくれたので、安心して漫画を描くことに集中できた…というのは間違いなくありますね。

中井
中井

ジャンプは編集者の方がみんな優秀だというのは本当にそうだと思います。他の作家さんはわからないですけど少なくとも僕に関しては、ジャンプ時代を思い返して、嫌な思いをさせられたという記憶がほとんどないんですよ。

後にジャンプを出ていくことになって、その時はさすがに色々ありましたけど(笑)、でもそれは人気商売ですから仕方ないところもありますし…。

とにかくジャンプは優秀な編集さんが集まってるところだというイメージは今もずっとありますね。

嶋田
嶋田

でもそれは当時はちゃんとわかってなかったところも多々ありますね。ジャンプを出て、後に他の出版社で描いた時に初めてわかったことがたくさんありました。

ああ、ジャンプは僕らが気づかないところで、こんなこともやってくれてたんだって。いい新人さんがどんどん育つ土壌というのは、そういうところから既にしっかりできているんだなというのは、ジャンプを出たことで初めて納得できたことでもあります。

そういう意味では、作家にとっては本当にいい編集部だし、幸せなことだと思います。ジャンプで漫画を描けるってことはね。