ジャンプレジェンド作家スペシャルインタビュー 「ゆでたまご先生が語る週刊少年ジャンプ」

ゆでたまご作画担当
中井 義則先生
ゆでたまご原作担当
嶋田 隆司先生

第2回 なぜ僕たちは週刊少年ジャンプを目指したか?

――そもそも他の少年誌と比べて、ジャンプについての先生の子供の頃からのイメージというのは、どのようなものだったんでしょうか?

中井
中井

他の雑誌と比べると、初めてお名前を見る新人作家さんが多い雑誌だな…という印象は昔からずっとありました。子供の頃はその理由までもちろん考えなかったし、知りもしませんでしたが。

後でわかったのは「新人を育てて一人前の作家にする」というのがジャンプの伝統的な姿勢だったから…ということだったんですよね。

嶋田
嶋田

マガジンやサンデーと比べると僕の印象としては、作家も新人さんが多かったけど、同じように読者層もグッと若かったんじゃないかという感覚はありました。マガジンやサンデーって高校生や大学生が読んでる印象が強かったんですよ。

でもジャンプは小学生や中学生が読む雑誌だというイメージ。永井豪先生の『ハレンチ学園(1968年)』なんてエッチな漫画があって僕も好きでしたけど、それも今でいう青年誌のような官能的なエロではもちろんなくて、明るくて健康的なエッチ表現。

でもそれさえも親に見つかると恥ずかしいから、隠れてこっそり読んでドキドキする…みたいなね。

――可愛らしい感じですね(笑)。

嶋田
嶋田

そう、そういう独自のスタンスがあって、まさにそこが小中学生にウケたところだとも思うんですよね。雑誌全体を見ても、文字の多い小難しい記事がなくて、純粋にほとんど漫画だけで構成されてた。中井君は不満だったかもしれないけど!(笑)

中井
中井

いやいや(笑)。

嶋田
嶋田

でも僕はジャンプのそういうところ好きでしたね。シリアスばっかりにならないように、ギャグ漫画も多かったし。本当の意味での少年漫画誌だったと思います。

中井
中井

確かに僕は雑誌としてはジャンプよりマガジンの方をよく買ってましたけど(笑)、でも好きだった漫画はジャンプに多いんですよ。だからそこは必ず抑えるように単行本で買ってました。

さっきも話に出た『荒野の少年イサム』はまさにそうですし、望月三起也先生の『ジャパッシュ』も、相棒に薦められて後から単行本を買いました。

さらにその後、望月先生のジャンプの新作で『ザ・キッカー(1972年)』というのが始まって注目してみたり。だからジャンプという雑誌の存在感については、常に意識してましたよ、僕も。

――先生方がジャンプ編集部主催の赤塚賞に応募されたというのは、やはりそれだけジャンプに思い入れが強かったということもおありだったんでしょうか?

中井
中井

そうです!…と言い切れたらカッコいいんでしょうが、実際そこは僕ら、デビュー前はマガジン主催の賞にも応募していたのでなんとも(笑)。

――必ずしもジャンプで…ということではなかった?

中井
中井

ええ。ただ、だからと言ってどこでもいいということではなくて。やっぱりジャンプでデビューを狙えるなら、それが一番理想的であるとは思ってました。

嶋田
嶋田

少年漫画の新人賞ということを考えると、やはり手塚賞・赤塚賞の存在が大きかったんですよ。ジャンプがマガジンやサンデーの売上を抜いて1位になったのって、いつ頃でしたっけ?

――確か1970年代の終わり頃だったと思います。

嶋田
嶋田

そうでしょ。僕らが赤塚賞に応募したのも1978年でしたから、ちょうどその頃だったんですよ。どうせやるなら日本一の漫画誌で賞を獲ってデビューする、というのを目指していたので。

手塚賞・赤塚賞って、漫画界の芥川賞・直木賞と言われるほどの権威ある賞だったんですよね。そこで最高の賞を獲れば、それはそのまま日本で最高に注目を集める新人漫画家ということになりますから。それにあとは愛読者賞ですね。

――愛読者賞は今はもう開催されていないですね。

嶋田
嶋田

ええ、でもこれが僕らは読者だった頃から本当に楽しみな企画でね。年に一回、日本中の漫画家を対象にジャンプ編集部で人気投票を募るんですよ。

――日本中、ということはジャンプで描かれている作家さんに限らず?

嶋田
嶋田

ええ、掲載誌関係なく。それでその上位10名に入った先生方に、読切のオファーを出すんです。それで毎号順次その読切をどんどん掲載していって、最後にどの読切が一番面白かったか…というのをまた読者投票にかけるんですよ。

――なかなか刺激的な企画ですね。

嶋田
嶋田

そうなんです。つまりこの愛読者賞で優勝するというのは、その年に日本で最も面白い読切を描いた漫画家、ということになるわけですよ。この賞に本当にチャレンジしたかったし、もちろんそこで優勝したかった。

だからその舞台でもあるジャンプでデビューするというのは、そこへの道のりも近いように思えてね。だからやっぱりジャンプを目指したいという想いは強かったんですよね。

中井
中井

編集者が選ぶわけじゃなくて、エントリーから受賞者まで全て読者が選ぶというのが愛読者賞でしたからね。

これはごまかしが一切効きませんから…面白いものさえ描けば評価されるというすごくシンプルなシステムが僕も好きでしたね。

嶋田
嶋田

売上がどんどん伸びてて当時最も勢いがある雑誌だったし、手塚賞・赤塚賞や愛読者賞の存在もそうだし、とにかく本当の日本一の漫画家になるためには「週刊少年ジャンプ」でやるべきだ、と思わせる魅力的な理由があちこちに散りばめられていたんですよ。

だから僕らは、最初の目標としてジャンプでのデビューを目指した。

中井
中井

ええ、とてもシンプルな理由ですよ。日本一の漫画家になりたかった。恐れを知らなかったというのもあるんでしょうけどね。そういう思いがあったことは、確かなことです。第一目標は、間違いなくジャンプでした。