ジャンプレジェンド作家スペシャルインタビュー 「ゆでたまご先生が語る週刊少年ジャンプ」

ゆでたまご原作担当
嶋田 隆司先生
ゆでたまご作画担当
中井 義則先生

第1回 週刊少年ジャンプ創生期のレジェンドたち

――今回は「キン肉マン 40周年」の特別企画として、ジャンプのレジェンド作家であるゆでたまご先生に様々なジャンプの思い出や印象について、語っていただきたいと思います。そこで最初の質問として、週刊少年ジャンプという雑誌は先生はデビュー以前から読んでいらっしゃったんでしょうか?

嶋田
嶋田

読んでましたよ。僕が最初に週刊少年ジャンプという雑誌を手に取ったのは小学校4年生の頃かな。小学館のサンデーや講談社のマガジンに比べるとジャンプは後発の少年誌で、まだ創刊2年目くらいの新しい雑誌でした。

当時はちょっとだけ値段も高かったんですよ。他の少年誌は80円なのにジャンプは90円。それでもどうしても読みたい漫画があってね。貝塚ひろし先生の『父の魂(1968年)』という漫画。

バット職人のお父さんと野球選手の息子の話なんですけど、これがものすごく面白かった! これが読めるなら90円出す価値があるな、と思ったくらい(笑)。それに本宮ひろ志先生の『男一匹ガキ大将(1968年)』も大好きでしたね。これは本当に後々に至るまで、大きな影響を受けた作品です。

中井
中井

『男一匹ガキ大将』は、もともと僕と相棒の小学生時代の共通の友達にМ影というのがいたんですけど、最初はそのМ影がめちゃくちゃ好きでね。「読め、絶対面白いから読め!」って強烈に薦めてきたのがはじまりやったんちゃうかな?

嶋田
嶋田

そうや、思い出したМ影や(笑)。

中井
中井

М影は本宮先生のアシスタント募集に応募してたくらいの大ファンでね。

嶋田
嶋田

応募してたなぁ~(笑)。それでその『男一匹ガキ大将』と『父の魂』が読めるということで買い始めたのが最初だったんです。小学校4年生の頃でした。

――中井先生が嶋田先生と出会われたのも確かちょうどその頃ですよね。

中井
中井

ええ、まさにその頃の話ですね。でも僕はその当時はまだジャンプじゃなくて、どちらかといえばマガジン派だったんですよ。

――最初はジャンプよりもマガジンだった!?

中井
中井

ええ、当時のマガジンは漫画の他にも付録のような特集記事ページがたくさんありましてね。

大伴昌司さんという方が構成されていた「SF特撮入門」とか「ネス湖の怪物」とか…子供には少し難しい空想科学的な内容が多かったんですけど、それが僕には面白くて、ジャンプではなくそっちを買ってたんですよ。

「ジャンプには漫画しか載ってないやん」なんて、その頃は思ってましたね。

嶋田
嶋田

でもその漫画が僕に言わせればめちゃくちゃ面白かったんですよ。

さっきあげた2作品の他にも川崎のぼる先生の『どうどう野郎(1969年)』、ジョージ秋山先生の『デロリンマン(1969年)』、ちばてつや先生の『モサ(1969年)』も良かった!

――どんどん出てきますね。

嶋田
嶋田

そりゃあもう、僕は本当にジャンプ大好きでしたから!

――では元はマガジン派だった中井先生がジャンプをお読みになられるようになったというのは、そんな嶋田先生の影響もおありだったんでしょうか?

中井
中井

どうでしたかねぇ…ないことはないと思いますけど(笑)、でも僕が最初に買ったジャンプはよく覚えてるんですよ。

川崎のぼる先生の『荒野の少年イサム(原作:山川惣治先生、1971年)』が表紙の号。多分、小学校5年生か6年生くらいの頃だったかなぁ。

嶋田
嶋田

そうや、中井君『荒野の少年イサム』好きやったもんなぁ。

中井
中井

好きでしたね~。

嶋田
嶋田

その頃の中井君、『荒野の少年イサム』の単行本も全巻買ってたんですけど、すごいなと思ったのは、本を汚さないようにカバーにピシーッと料理用のラップをわざわざ巻いて保護してたんですよ。

――まさに宝物ですね。

嶋田
嶋田

でもそれ時間が経ってくるとね。ラップがどんどん縮んできて本の表紙の部分が反りかえってくるんですよ。グニャア~って(笑)。

中井
中井

もうちょっと余裕をもって巻けば良かったんですけどね。ピッチピチに巻いてたから、なんかだんだん窮屈な感じになってきて…。

嶋田
嶋田

その本を僕に貸してくれたんです(笑)。

――巻きなおしたりしなかったんですか?

中井
中井

どうでしたっけねぇ(笑)。でもそこまでしてでも、汚されたりシワが付いたりするのが絶対に嫌だったんですよ。それくらい大事にしてたんですね。

――では中井先生をジャンプに導いた作品はまさにその…。

中井
中井

ええ『荒野の少年イサム』ですね。物語の渋さからあの劇画調のイラストのタッチまで、何から何までカッコよかった。思い出の作品をひとつ上げろと言われたら、まさにこれになりますね。

嶋田
嶋田

僕はもう、ひとつになんて絞れないですね(笑)。そうそう、望月三起也先生の『ジャパッシュ(1971年)』。これも良かった。連載期間は短かったんですけど、衝撃的な作品で。

でもこれ最初、望月三起也先生が描いた作品だとは全然気づかなかったんですよ。絵柄が先生の他作品と全然違ってて。この作品も影響受けましたね。

キャラクターがアゴをつき出すようにして目線を向けてくる。そのアングルが妙に印象的で、よくマネして描きました。

中井
中井

わかるわかる(笑)。あの描き方は確かに僕らもよくやりました。少なからず影響されたところがありますね。

嶋田
嶋田

面白かったのになぁ。
すぐ終わっちゃったんですよ。

中井
中井

そう。単行本だと2冊くらい。

嶋田
嶋田

主人公の少年が日本に革命を起こそうとして、警察や自衛隊を徐々に手に入れてだんだん独裁者になっていくという…。

――「少年ジャンプ」ですよね?(笑)

嶋田
嶋田

ええ、でもそれもジャンプだったんですよ(笑)。あ、中井君が好きやったの、もうひとつ思いだした。飯森広一先生の『ぼくの動物園日記(1977年)』!

中井
中井

ああ~はいはい。あれはいい漫画でした。
好きでしたね!

嶋田
嶋田

だって中井君これに影響受けて、自分でも動物の漫画、作って描いてたもんな? 正確には覚えてないけど『○○の動物園めぐり』みたいなタイトルで。

中井
中井

………描いてたね(笑)。

――それは両先生がまだ合作を始められる前のお話ですか?

中井
中井

そうです。動物園なんて自分じゃどこもめぐってないのに空想だけでね(笑)。

嶋田
嶋田

飯森先生は昔ジャンプで開催されてた愛読者賞の常連だったくらい、人気の作家さんだったんですよ。いい話いっぱい描かれてて。

中井
中井

心温まる話を描かれるのが非常に上手い先生だったんです。好きでしたね~。

――そういうお話を聞くとやはりお二方とも、プロの漫画家としてジャンプに来られる遥か以前から筋金入りのジャンプっ子だったんですね。

嶋田
嶋田

ええ、それは本当にそうなんです。

中井
中井

だからそこでデビューできたというのはやっぱり嬉しかったですよ。

吉沢やすみ先生の『ど根性ガエル(1970年)』も昔から大好きな作品で、ずっとその作品を担当されていた編集者が中野和雄さん。

その中野さんが僕らのデビューの際の初代担当編集者になってくれたというのも、何か縁のようなものを感じましたね。

――『キン肉マン』にも出てくるあの「アデランスの中野さん」ですね?

中井
中井

ええ、その「中野さん」です(笑)。